千村くんの爪の垢煎じてティータイム

私は、中高時代(主に中学生の時)に携帯小説を読み漁っていた。ちょうど携帯小説が流行っていた頃。

大学3回生の今では記憶に残っていないものの方が多いが、今でも好きだと断言できる作家さんがいる。「泣宮永」さんという方。サイトによっては、「永」という名前で活動されていた。もう何年も更新されていないが、永さんの書くお話が本当に大好きだ。

 

ふと思い立って、山積みの大学の課題をそっちのけにお気に入りの一つ「キミの肌を散歩」を読んだ。気づいたら夜が明けていた。

 

初めて読んだ時、私は中学生だったと思う。恋愛小説で、舞台は高校。よく読んでいた携帯小説は高校を舞台にしたものが多く、当時中学生だった私はキラキラした高校生活に憧れていた。

「キミの肌を散歩」は、ヤンキーとか逆ハーレムとか芸能人とか、携帯小説によくある現実味がないような設定ではなく、平凡な高校生のお話。主人公の池内木南(いけうちこなつ)は普通の女子高校生である。同じクラスで席が近く同じ委員会に所属する千村優(ちむらゆたか)に恋をする、というお話。

少女漫画にも出てこないくらいの(?)平凡な設定。しかし、この千村くんが割と性格に癖のある子なのだ。顔が綺麗で色気があり地味にモテるが、恋愛経験はゼロ、気分屋、ネガティブ、そして自由人。ちょっと変で残念な人。

 

中学生の時は、不器用な千村くんに振り回されながらも恋に落ちていく主人公のキュンキュンする展開を楽しんでいた。第三者目線で。

両片思いのもどかしさを感じながらやっと付き合った後も何度か困難があり、乗り越えていく。いい話。

 

ただ、私は20歳になった今読み直してみて、第三者目線ではなく、主人公の気持ちに恋愛感情以外のところですごく感情移入していることに気づいた。

千村くんは、学校は大体3限から来るし、髪色は1ヶ月に1回変えて生活指導の先生に目をつけられているし、偏食で自由人。自称コミュ障で童貞、友達は少ない。とにかく、木南にとっては、普通のちょっと変で無気力な同級生。

しかし、千村くんを知っていくにつれて、いろいろな一面を見て、彼に対する気持ちは変化していく。彼は遥かに大人で先を見据えていて、その"先"めがけて目の前のことに対してがむしゃらになれる、すごく能動的な人だったのだと気づく。関わっていくほど、「私はこんなすごい人と付き合っているんだ」という傲りと、距離が遠く感じられていく焦燥感、羨望。

 

それに対して千村くんを慕う子から投げかけられる言葉が、

「とんだお花畑だよね。ネットの動画サイトで自分の歌や踊りや演奏を上げてる人たちを見て『いいなぁ、羨ましいなぁ。私にもこんな才能があったらなぁ』って言ってる奴と同じに思える。そいつはパソコンの前に座ってるだけで何一つ行動を起こしたことないくせにね」

 

もうこの展開が、言葉が、自分に突き刺さって抜けなくて痛くて痛くて、恋愛的展開なんかよりもよっぽど苦しかった。にしても、この言葉は正論かもしれないけれど、初対面の普通のJKにそんな攻撃的なこと言わなくても…ヴヴヴって少し唸りそうになった。てかそこまで言えるって逆に愛がある。(この子の場合は千村くんの彼女(主人公)に抱いていた敵意からの発言、つまり千村くんに対しての愛だったけれど)

 

私には、木南が千村くんに抱いたような感情がよくわかった。私にも同じような経験があった。

同じ学部の仲の良い友達が、学校の課題を全部自分で努力して必死にこなしつつ、毎日課外活動にも全力で取り組んでいた。自分には胸を張って頑張っていると言えるものがなかったし、学校の課題ですらさぼりがちで提出ギリギリにそこそこのクオリティで提出。

自分は何もしていないのに(だからこそ)、焦燥感だけが募り、友達が眩しすぎて痛かった。

 

毎日必死になって生きるのとかしんどい。

そこそこで生きていたい。

あまり何も考えずに生きていたい。

やりたいこととか分からんし

死にたくならない程度に

困難を避けて生きていきたい。

絶望も悲しみも辛さも寂しさも、

出来る限り避けて生きていきたい。

…………………

 

めっちゃそう。そうだな〜

でも、この小説を読んでいて、たまには自分なりに全力疾走してみたいなと思った。しんどくなったら迷わず急ブレーキ。違う方向にだって進んでもいいしスピードを緩めてもいい。

他人と比べる必要はないと言われたところで、そんなの承知の上で、いろんな人と生活をしていく中で他人と比較してしまうことは避けられない。でも、そんな時の自分に対する絶望感とか、どうしようもない痛みとか、耐え難いような辛さ、漠然とした不安、悲しみ、寂しさ、負の感情も受け入れて生きていけたらいいのにね、全部愛していきたいよ。それすら自分の一部だから。自分なりに自分の人生踏み締めていくしかない。

 

あともう一つ。お話に戻るけど、千村くんは本当はただ大人でなんでもできる人ではなくて、千村くんも千村くんで人生という暗中を模索しながら、手探りで生きているということに気づく。

結局、木南が見ていた千村くんも木南の主観でしかなかったんだよね。

そのことに気づいた木南は、千村くんに対する嫉妬や焦燥感で千村くんを振り回してしまったことに対して謝罪してから、「この反省は、家に持ち帰って一人になった時にしようと思う」と心の中で切り替えている。

これ、めっちゃえらくないですか?????(えらい)(えらすぎる)

自分の弱さを認めて、相手に対して悪かったところをちゃんと謝罪する。そしてその場ではすぐに切り替えてあとで自分自身でしっかり反省する。簡単なようですごく難しいと思う。私もそうやって自分をアップデートしていける人になりたい。

確かに、誰かが羨ましくて妬んでしまうこともあるけれど、みんな人生1回目で、みんな手探り。要領よくこなしているように見えても、本当はもがいて努力しているのかも。

 

私も千村くんのように必死にもがいて生きていきたい。木南のように自分の弱さを認めて、強くなっていきたい。

 

生きるのとかしんどいし、能動的に生きたいとか思えない人もそうでない人も、千村くんが、このお話が、もしくは自分ではない誰かの存在が、なにかが、全力疾走してみようかなという気にさせるかも。(無理矢理でよくわからん文章の締め方でわらう)

 

読後の勢いに任せた拙文でした。タイトル何にしよう…

はぁ、千村くんの爪の垢煎じてティータイムでもしよか〜!って意味を込めてみました。やっぱ木南ちゃんのもください正直。いやいややっぱり自力で成長します(ごちゃごちゃうるせ〜)

 

これは、恋愛ものなのだけれど、同時に成長物語だと思う。私もこうやって自己嫌悪とか妬みとかをそのままにせず自分で自分の人生という暗中を模索して進む道を探したいな〜と思った。これはこうだ!とかこうしろ!と押し付けるわけじゃなくて、そっと優しく道標を示してくれるみたいなお話。

 

ありがとう永さん。謝謝です

 

あとさ、永さんの文章に関してすごいなぁと思うところを1つ最後に言いたいです。(話締めへんのかい)

携帯小説が流行ってた頃って2010年代初期とか半ばとかそういう(今よりもちろん昔っていう)時代的な問題と、携帯小説っていうジャンルだからこそ特に、女性軽視だったりホモソーシャル的な考え方(同調圧力)とかそういうのがすごく浸透していていろんなお話の描写や設定に現れてた感じがする。(携帯小説の中でも特に恋愛小説を書いてるのはたぶんほとんど女性だけどそう感じた)

覚えてないけど他にもいろいろ今思えば、昔は普通に受け入れてたけど、あれ?これっておかしかったなって思う描写もたくさんあった。ダイバーシティ?なにそれ?みたいな感じ?

あの、今更そういうのに対する否定をしたいわけじゃなくて!(昔のことですし)(どうでもいいけど、ですしっていう語尾すき、最後に寿司が入ってるから)

ただ、言いたかったことは、永さんの作品ってすべて、約10年経った今読んでもそういう描写が一切ない。登場人物の言葉の端々から永さんのフラットな考え方を感じることができるなって思ってて。

それは今の私の考え方に少しでもつながってると思う。

設定に関しても、永さんの小説は基本的に異性愛で高校生の話だけど、短編の中には対物性愛のお話もあった(気がするたぶん)。どれも本当にすごく素敵なお話だった。

も〜なんか結局、小説の繊細な描写とか世界観から滲み出る永さんの人物像だったり性格が本当に好きなんだと思う、私は!

 

携帯小説サイト「魔法のiらんど」っていう言葉だけ聞いても、自分にとっては黒歴史というか恥ずかしい過去が思い出されてウッてなりますけど、確かにそこにあったんです、それは。(黒歴史だからと言って自分の中で消しませんの意)

そこにあった、どころか"キミ肌"みたいに今の自分の考え方の一部になってるものもあったり。

黒歴史も恥ずかしい過去も全部抱きしめて前を向いていきたい。

 

いろいろ話逸れて全く綺麗にまとめられなかったけど、まあ、読んでみてはいかがでしょうか?

大人やけど書いてしまった、読書感想文でした。読書感想文で賞とか獲ってみたい人生だったな。

 

てかこんな3000字強の文字読むくらいなら普通に永さんの文章読んだ方が絶対によいです。ありがとうございました。